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《无敌青春》经典影评有感
日期:2022-03-14 16:01:04 来源:文章吧 阅读:

《无敌青春》经典影评有感

  《无敌青春》是一部由井筒和幸执导,盐谷瞬 / 泽尻英龙华 / 高岡蒼佑主演的一部动作 / 喜剧 / 剧情 / 爱情类型的电影,特精心从网络上整理的一些观众的影评,希望对大家能有帮助。

  《无敌青春》影评(一):thank you for the music

  zs这批日本电影的字幕翻译基本上都是鸡同鸭讲,神仙才能看懂。所幸音乐语言无国界,最后小青年悲歌一曲,算是抵消了倒霉字幕带来的缺憾。zs如果存心不想搞好翻译问题,那么不妨多出点跟音乐有关的电影碟,影迷们才不会怒气冲天。

  《无敌青春》影评(二):这中文译名对我来说简直糟糕透了

  emoto的推荐的好片子。

  有人说前面混乱,后半段拍的不错,我只想说,你之所以觉得后半段不错正是因为前面的铺垫啊,一直所以后面,如果你也是像我那样看到康介悲痛地摔吉他那段已经哭出来了,以至于本来洗完脸看得我到最后又去洗了一遍,那也是前面的铺垫。可能是日本青春片看多了,对着里面挥霍青春释放荷尔蒙的线完全没什么感觉,倒是主线中的主线,对在日朝鲜人的心理(尤其是对康介态度的变化)感触很深。

  悲しくて悲しくて、とてもやりきれない。この限りない虚しさの救いはないだろうか。

  这其实是在可怜人类啊。

  就跟不用说连起所有线的整部影片的主题イムジン河了。

  这算是为下学期的课做铺垫吧。

  《无敌青春》影评(三):这才是青春!

  不记得好像是05年看的片子。

  那时候翻译的名字好像是XX激情燃烧这样的名字。

  青春就是热血,荷尔蒙。

  一群高中生的男孩,还有美丽的女孩。

  国家,民族,课堂,街头,红色的海洋。

  最终爱是和解,青春过去。

  记得那个弹琴的女孩,那个萝卜腿的日本少年,那个一心回到朝鲜的少年,记得那个割包皮的少年,记得他们参加葬礼,记得那个举着红宝书的老师,那个广场集会的人,那些掀翻公交车的少年,那动听的歌曲,那个在公交车要生产的女孩。不知道文革是不是也是这种情形,只是日本的当时更富足一些。

  原来日本也一直有左翼存在。后来看了一本写警官传统的小说,对那段历史才了解一些。

  总之,能让人记住很多的,就是好电影。

  《无敌青春》影评(四):中井书房

  摘自《万象》(2012.9):《中井书房》(苏枕书)

  偶听店家聊起来,井筒和幸导演的《无敌青春》曾在中井书房取景,共三个镜头:主人公走进书店,主人公在书架前翻书,主人公发现需要的辞典。导演将摄影机架在柜台内,好长时间一动不动。“演员和导演都好辛苦,那么久,反反复复就为一个镜头,花了三四个钟头。我在一边看着,大气都不敢出,怕打扰了他们。”中井先生笑着回忆。回家来看,果然有中井书房的三十秒画面:男主人公来到店里,找到一本韩语辞典——他爱上了一位在日朝鲜族女孩。店内布置和现今没有什么区别,明亮的玻璃窗,长排书架。说起来中井家确实有不少朝鲜史、朝鲜语相关的书籍。据说井筒导演曾遍访京都旧书店,最终选择在中井家取景,因为店里光线很好,氛围清新,空间纵深。深有同感。

  《无敌青春》影评(五):临津河

  这首歌是片子的一个亮点,值得回味

  临津河

  清清临津河水,潺潺地流着。

  水鸟们自由自在地在苍穹中交织。

  祖国南端的大陆,我是那么的思恋。

  清清临津河水,潺潺地流着。

  从北方的土地到南方的天空

  那飞翔的白鸟 就是自由的使者。

  有谁会希望亲爱的祖国成为两方。

  有谁会希望亲爱的祖国被分裂。

  清清临津河水,潺潺地流着。

  水鸟们自由自在地在苍穹中交织。

  祖国南端的大陆,我日夜期盼着回去,却只有幻灭的希望。

  清清临津河水,潺潺地流着。

  临津河上晴空万里边 只有那彩虹是我们分别的见证

  清澈的河水也想传达那深深的离别之情。

  温馨的故土是永远也不会遗忘的。

  清清临津河水,潺潺地流着。

  《无敌青春》影评(六):战争是一个时代的痛,而无知是下一个痛苦的开始

  一开始觉得片子有点夸张,到高潮才爆发。民族矛盾,暴力冲突,青春义气和朦胧爱情交织在一起,得细细体会。

  最感动的是播音室的大叔,文化传播者要是都有这种精神,更多自由和人文精神才能传播开。

  最悲痛的是葬礼上的质问,大多数新生代对过往的历史确实什么都不知道,哪个国家都是,伤痛的一代都会被时间抛下,所以战争是一个时代的痛,而无知是下一个痛苦的开始。

  突然想到岸本齐史的火影忍者里曾表达出希望下一代不用继承仇恨而活,但是下一代在记住历史的真实和残酷的时候,自然而然就会记住其中的屈辱,愧疚,骄傲等等,这些来自真实历史的情感才能教会人去直视问题,直视矛盾,做出更公平的选择。公平的选择去仇恨还是放下,去愧疚还是认同,虽然不一定正确,但是正确的选择一定是公平客观看待历史过后的选择。

  忘记过往,那是愚者的选择。

  《无敌青春》影评(七):不错的电影能看出点味道来

  最近看的不错的电影,开章男主角即以夸张华丽的蘑菇头造型入镜,为博女孩子们好感不过效果显然相去甚远,只是很有时代的感觉,当然现在又在流行复古,君不见蘑菇锅盖飞过一条又一条街,俺也俗了把,看到这些顿生相惜之情啊。

  作为主线发展元素之一的那首朝鲜民谣《临津江》真的很好听,吉他的伴奏和男子低低的吟唱融合在一起祥和而愉快,感觉那真是一段令人怀念的旧时光

  泽尻绘里香mm饰演朝鲜少女,彼时还没有《一公升眼泪》,mm脸肉肉微有点婴儿肥,穿着白色宽大的民族长裙,(可以说飘逸也可以说臃肿...)不是那么耀眼大概还看的过去(最好看还是在一公升眼泪)

  盐谷瞬gg的蘑菇头造型实在让人抱脚,不过也因此倍显喜感,好在后来没有让他一直维持那个发型...整体与《我和她的×××》中的感觉没什么变化,不过gg还真适合这种质朴纯情的少年模样,呵呵

  另外小田切让在里面客串了个怪gg,一眼还没认出来,只是觉得这个gg挺美型的,后来才知道大名,对名字比较熟对人不熟>o<

  《无敌青春》影评(八):没有露点,不算青春

  パッチギ!』(韓国語: 박치기)は2004年製作、2005年1月22日公開の日本映画。2006年には韓国ソウルの明洞CQNでも公開された。監督は井筒和幸。キネマ旬報ベストテン1位、毎日映画コンクール最優秀作品賞、ブルーリボン賞作品賞を受賞した。

  タイトルの「パッチギ」は朝鮮語(韓国語)で「突き破る、乗り越える」ならびに「頭突き」の意。

  2009年12月には山本裕典主演で舞台化された。舞台演出は茅野イサム(劇団扉座)が務め、映画版の監督だった井筒和幸は総合演出を務めた。

  目次 [非表示]

  1 あらすじ

  2 作品解説

  3 キャスト

  4 スタッフ

  5 受賞

  6 舞台

  6.1 キャスト(舞台)

  6.2 スタッフ(舞台)

  6.3 映画版との違い

  7 脚注

  8 関連項目

  9 外部リンク

  あらすじ[編集]

  1968年。京都にある府立東高校2年生の松山康介は、常日頃から争い事の絶えない朝鮮高校(朝高)にサッカーの練習試合を申し込むことになった。康介と友達の紀男はしぶしぶ朝高を訪れるが、そこで康介は音楽室でフルートを奏でていた少女・キョンジャに一目惚れする。しかしあろうことかキョンジャの兄アンソンは同校の番長であった。どうしてもキョンジャと仲良くなりたい康介は韓国語を必死で習得すると同時に楽器店でギターを購入。キョンジャが演奏していた「イムジン河」(임진강/림진강)を覚え彼女の前で演奏することを決意する。

  作品解説[編集]

  京都における日本人の少年と在日コリアンの少女との間に芽生える恋を中心とした青春映画。

  オール京都ロケで撮影された。京都の町並みはほとんどが撮影時の風景そのままの姿であり、CGで電線やアンテナ、ビル群などを消すことはほとんどなかったという。エキストラには朝鮮総連協力の下実際の在日朝鮮人が多数出演した。 本作では韓国と北朝鮮に分断された朝鮮半島のうち、北朝鮮を支持する総連系在日社会側を描いており、韓国側からの視点は少ない。しかし日本側の人々が言う「朝鮮」「朝鮮人」とは朝鮮半島に出自を持つものを総称的に呼ぶもので、必ずしも北朝鮮や北朝鮮国籍者を指すものではない。

  日本人と朝鮮人にまつわる民族問題が主軸であることから、特に韓国側の歴史認識・被害者意識への異論を唱える人からは視点が偏っているとの批判がある。例えば、元在日韓国人3世の帰化者・浅川晃広名古屋大学専任講師は「在日朝鮮人の意図的な異質化と、それと北朝鮮との関係の隠蔽が意図的に行われ、異質化の正当性を予備知識のない観客を大いにミスリードしながら訴える映画」「朝鮮総連翼賛の宣伝娯楽映画といっても過言ではない」と感想を述べている[1]。また、冷戦下での東西対立(西側の日本と東側の北朝鮮)という視点が無視されている、また逆に「現代のロミオとジュリエット」との謳い文句に反して、主人公カップルの交際に双方の家族・友人からの抵抗がほとんどなかった。

  他方、主人公が恋をバネに朝鮮人への理解を深めるという作劇や、全編に「イムジン河」を流し、「あの素晴しい愛をもう一度」をオリジナル形で映画主題歌に提供するなど音楽監督の加藤和彦が力を入れた音楽面の充実もヒットに貢献した。

  キャスト[編集]

  松山康介 - 塩谷瞬

  リ・アンソン(李安成、리안성) - 高岡蒼佑

  リ・キョンジャ(李慶子、리경자) - 沢尻エリカ

  坂崎 - オダギリジョー: 康介にギターを教えた坂崎酒店の若旦那

  桃子 - 楊原京子(現:松永京子): アンソンの彼女

  チョン・ガンジャ(鄭康子、정강자) - 真木よう子

  チェドキ (재덕이 、박재덕) - 尾上寛之: アンソンの弟分

  モトキ・バンホー - 波岡一喜: アンソンの親友

  吉田紀男 - 小出恵介: 康介の同級生

  大西 - ケンドーコバヤシ: 空手部主将

  大阪ホープ会のリーダー - 坂口拓

  布川先生 - 光石研: 康介と紀男の担任

  野口ヒデト - 加瀬亮: オックスのボーカル

  金太郎 - 趙珉和: 密航者

  さなえ - 余貴美子: 康介の母

  大友 - 大友康平: ラジオ局のディレクター

  モトキのアボジ - 前田吟

  ボウリング場の支配人 - ぼんちおさむ

  アンソンとキョンジャのオモニ - キムラ緑子

  近藤 - 桐谷健太: 大西の子分

  安部 - 出口哲也: 大西の子分

  ヘヨン - 江口のりこ: ガンジャの友達

  シルサ - ちすん: キョンジャの友達

  滝本くん - 平松豊

  ボンファさん - 木下ほうか

  アル中のおじさん - 長原成樹

  大西の父 - 徳井優

  楽器屋の店主 - 小市慢太郎

  団子屋 - 笑福亭松之助

  チェドキの叔父 - 笹野高史

  椿 - 松澤一之: ラジオのプロデューサー

  ナターシャ - ニキータ

  スタッフ[編集]

  監督:井筒和幸

  製作者:李鳳宇、川島晴男、石川富康、川崎代治、細野義朗

  エグゼクティブプロデューサー:李鳳宇(イ・ボンウ)

  プロデューサー:石原仁美

  原案:松山猛『少年Mのイムジン河』

  音楽:加藤和彦

  脚本:羽原大介・井筒和幸

  撮影:山本英夫

  録音:白取貢

  助監督:武正晴・佐和田恵・小林聖太郎・吉田康弘・滝本憲吾

  脚本協力:木田紀生

  メイク協力:フォンテーヌ

  技斗:秋永政之(ワイルドスタントチーム)

  ガンエフェクト:ブロンコ

  カースタント:アクティブ21

  スタジオ:日活撮影所

  朝高、舞台高校:比叡山高等学校

  現像:東京現像所

  企画・製作・配給:シネカノン

  受賞[編集]

  ※特に順位を記していないものは、すべて1位

  第79回キネマ旬報ベスト・テン

  日本映画1位

  監督賞:井筒和幸

  新人女優賞:沢尻エリカ

  第60回毎日映画コンクール

  日本映画大賞

  音楽賞:加藤和彦

  第48回ブルーリボン賞

  作品賞

  第48回朝日ベストテン映画祭

  日本映画1位

  第30回報知映画賞

  最優秀新人賞:沢尻エリカ

  第29回日本アカデミー賞

  優秀作品賞

  優秀監督賞:井筒和幸

  新人俳優賞:塩谷瞬・沢尻エリカ

  話題賞・役者部門:沢尻エリカ

  第27回ヨコハマ映画祭

  作品賞

  監督賞:井筒和幸

  最優秀新人賞:塩谷瞬・沢尻エリカ

  第20回高崎映画祭

  最優秀監督賞:井筒和幸

  最優秀新人賞:高岡蒼佑

  第18回日刊スポーツ映画大賞

  作品賞

  新人賞:沢尻エリカ

  第15回東京スポーツ映画大賞

  新人賞:沢尻エリカ

  第15回日本映画批評家大賞 助演男優賞 笹野高史

  《无敌青春》影评(九):相关资料备份

  引自Yahoo Japan知恵袋回答

  观点出自「社会的関係と身体的コミュニケーション—―朝鮮学校のケンカ文化から」(韓 東賢)

  登载于「思想地図」VOL1(東浩紀・北田暁大 編);此处由答主转述。

  かつて1970年代の東京では東京朝鮮高校と国士舘高校の乱闘事件が頻発していたという。映画「パッチギ!」で高校生たちがガラの悪い格好をして喧嘩ばっかりしているのに呆れたけども、あれは校風だったようだ。

  東京朝鮮中・高級学校は、「異国の地にあっても民族の魂を持ち祖国の発展に寄与し日本の社会で活躍できる人材の育成を目的に在日朝鮮人子弟の中等教育機関として祖国解放の翌年(1946年10月5日)に創立」した当初は中級部のみだったが、48年に高級部が併設された。中、高級部ともに朝鮮学校において日本最初に設立された同校は、開校から一貫して日本最大規模の朝鮮学校でありその中心的存在である。GHQと日本当局による朝鮮学校閉鎖政策による都立化の時期(49年~55年)を経て、北朝鮮の海外公民路線を取る在日本朝鮮総連合会(朝鮮総連)の管轄のもとで自主化し、現在にいたっている。

  この学校と連日バトルを繰り返していたのが国士舘高校。

  国士舘高校は1917年に国士舘義塾として創立し、48年の学制改革により国士舘中学校・高等学校となった。(中略)近年、改革が進んでイメージも大きく変化したが、80年代頃まではバンカラ、武闘派を代表するような校風で有名だった。創立者で初代総長の柴田徳次郎は保守主義的、右翼的な教育方針を掲げ、50~60年代の天皇誕生日(現昭和の日)には柴田自ら馬に乗って学生を観閲したというエピソードもあるほどだ。(中略) (1973年入学した木村三浩 ~ 新右翼一水会代表 ~ によると)当時の国士舘高校では、入学式で「軍艦マーチ」が演奏され、入学直後には「共産革命を食い止めるため命をかけろ」などと書かれた創立者柴田徳次郎の著書が配られ、天皇誕生日には奉祝の「分列行進」があり、週一回の「訓話」という授業では関東軍作戦参謀でシベリアの収容所に強制収容された経歴を持つ校長代理が「日本のすばらしさ」を語りながら「維新の志士のように生きる」よう説く講義をし、ガクランを着て教育勅語を暗唱しろという教師が存在していたという。

  これはヤバイです。どっちもどっちというか・・・出会ったらケンカになります。朝鮮高校の男子たちはグループを作って駅や電車の中を巡回し、バンカラ系の雰囲気芬々ふりまいているやつを見たら見つけ次第にケンカを吹っ掛けたという。

  彼らはこのように毎日列車内を「流し」て、「敵」を見つけると自らしかけて片っ端から制圧していった。一方で、誰かがやられたとか生意気なヤツがいるという情報が入ったり、「天敵」である暴走族が集会を開くという知らせがあれば「出張」することもあった。「国士舘は象徴的な相手で、他の学校は最初から向かってこない。まともに相手になるのは暴走族と国士舘だけ」(Eさん)だったらしい。

  一方、彼らのケンカは、周囲にはどのように受け止められていたのか。 (先生や大人は)やるなら負けるなとか、そんな感じとかね。あとは捕まらないいようにやれとかね。・・・・・(停学などは)あまり聞かれなかったね。・・・・ケンカではね、怒られるけど、そりゃ学校側もメンツがあるからね、怒られるけど、でもそんなには怒られないかな。(Aさん)

  誰に聞いてもだいたいこのような感じで、ケンカで警察に捕まっても停学や退学などの処分を受けることはほとんどなかったという。ではそれは学校の方針だったのか。「学校の方針としてというのは別になかったが、そんな風に厳格にしていたら、どれだけ多くの生徒が退学になって、いなくなっていたか」と語る元生活指導担当教師のFさんは当時、「生徒たちの学ぶ権利を守る生活指導部」というスローガンを掲げていたという。

  お、おもしろい。「パッチギ!」のあの一種ヤクザ映画みたいな天真爛漫な明るいケンカはそれだったのか。 そのような朝鮮高校の「ケンカ文化」が日本の不良高校生たちの畏怖や尊敬の対象となり、また一種のカッコイイスタイルとして隠語に取り入れられたりしたらしい。 そして、それだけ毎日毎日集団で乱闘して、警察にもしょっ引かれてたのに、死人が一人も出ていないっていうのはすばらしいことだ。

  集まってケンカするのはいけないことだったかもしれないけど、団結することを知り、団結してケンカするのが、自分たちの権利を守ることだと思ってたし、生活を守ることだと思ってたから。(Fさん)

  彼らの論理の「正しさ」はケンカでの勝利はもちろん、周囲の好意的な対応を通じて再認識され、警察沙汰になった際の差別的対応などを通じてさらに補強され、「伝統」となっていく。このように、彼らにとって「正しい伝統」であったからこそ、恐怖を感じながらも使命感を持ち、決死の覚悟、捨て身の「ハッタリ」で、強い敵を相手に精神的優位に立つ先手必勝の戦法で挑んでいけたのだ。

  彼らにとって、ケンカは「集団的伝統」であり、一種の「身体的コミュニケーション」であり、「マジョリティー/マイノリティー間の権力関係を(一時的にでも)無化するフィルター装置としての機能」であり、「マイノリティーとしてのアイデンティフィケーションの困難を回避するための一つの装置」となっていたのではないかと著者は推測している。めちゃめちゃおもしろい。死人が出ないのならどんどんやるべきじゃないのか?

  しかし、実際にはそのような「ケンカ文化」は80年代後半から90年代には限りなく下火になり、その代わりに「チマ・チョゴリ切り裂き事件」のような個人、弱者をターゲットにした陰湿な襲撃事件が頻発するようになった。で、著者は言う。

  そこに身体の対等性や、アイデンティフィケーションの困難を回避するフィルターとしてのコミュニケーションは、おそらく、存在しえない。 こうした「コミュニケーション」の様態の変化は、当然のように日本社会の変化の問題でもあるが、同時に、60~70年代の高度成長80~90年代のバブル経済を経て、「変化」してきた在日の側の問題でもあるだろう。では内と外の境界線は変わったのか、変わらないのか。その裂け目は埋まったのか、深まったのか。

  うーん、やっぱり、こういうネアカな乱闘が可視的に存在するっていうのはいいことじゃないのかなあ。一見穏やかで平和に見えても、親が子を殺したり、陰湿ないじめが全国津々浦々で頻発して死人がボロボロ出るような今の社会はとても健全とはいえない。朝鮮高校の生徒も国士舘の生徒も、イデオロギー対立が背後にあったわけだけど、それが韓国のように流血の大惨事に発展するのじゃなくて小競り合いをやってるうちにガス抜きができて、またそれを容認するような雰囲気が当時の日本社会にあったということだろうと思う。韓国の反共主義者たちは当時の日本を批判していたらしいけど、私はこういう緩衝地帯(日本)があったことはよかったんじゃないかと思った。もちろん、朝鮮総連の活動と韓国の民主化運動とはいっしょくたにしてはいけないけども。そして、ちょっと誤解されるかもしれないけど、人間多少のストレスがあった方が長生きするらしいから、こんなふうに「相容れない思想」の他民族が隣に住んでいて、時々はらわたが煮えくりかえるような思いをして、健全なバトルをするっていうのはかえって日本社会にとってプラスの方向に働くのではないかなあと思った。

  チマチョゴリ切り裂き事

  朝鮮総連・朝鮮学校

  チョン・チョン子・チョン公:日本人对朝鲜人的蔑称

  チョッパリ:(韩语)意为蹄子开裂的家伙,是朝鲜人・韩国人对日本人的蔑称。

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